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別れ
しばらく更新できなくてすみませんでした。

9月13日に父が亡くなりました
おばーちゃんの時みたいに書いていこうかと悩んだんだけどね。

友引の関係やら熱中症でこの時期に亡くなる方が多いらしく
長丁場になるので、少しココに書く時間ができました。

6月頃から父がちょっと血圧が高いなんて話を聞いてたんですが
その頃から少し貧血気味らしく、通いの先生で毎月検査をしてました。
8月の頭にもしかしたら白血病かもしれないと言われ
通いの先生の紹介で近くの血液内科がある大きい病院に検査入院
えっと~それが6日だったかな・・・
白血病かもといわれてから、とにかくドラマの世界でしか知らない病気だったので、色々調べたりしてました。
そしたら、どうやら生ものが食べられないと言うことで
入院する前の5日に、元気に戻るようにと家族で父の大好きなお刺身を囲んで食事。
父の日にあげたお酒を飲めばいいのにとみんなで言っても
帰ってきてから飲む!と言って小さいコップに一杯の安いお酒・・・
結局これが最後のお酒になってしまった。

6日入院、もうその日に骨髄の検査をしました
胸の真ん中の骨に穴を開けて中から骨髄液を取るらしく
誰もが悲鳴をあげるぐらい痛いらしいと前もって通いの先生から驚かされてたせいか、検査が終わってから「どうだった?」って聞いたら
「なんてことなかったよ」なんて得意気に言ってました。

病名、急性骨髄性白血病
急性かと家族で落ち込みました・・・
ただ、今の医療は日々進歩してるというのと、父の場合は急性でも進行が遅めだったらしく、抗がん剤も普通よりも少量でいいとの事。
副作用もなく順調・・・
この時は先生も7割がた大丈夫と思ってたそうです。
ただ、抗がん剤の治療というのは、結局悪い菌も殺すけど良い菌も一緒に殺してしまうそうで、そこで父は肺炎になってっしまったのです。

もうそれからが、壮絶な毎日でした・・・
若い時に結核と肺炎で死に掛けてる父で、普通の人より肺が弱かったんです。
スポーツ万能だったんだけど、年とともに少し歩くと胸が苦しくなる
それでも普通に生活してるのはめずらしいと、よく先生に言われてました。
その弱点の肺をやられてしまい、しかも白血病なために抵抗力がない・・・

9月6日母が主治医に呼ばれて、二つの選択をせまられました。
肺炎の治療をしたら2週間
白血病の治療をしたら10%の確立でよくなる・・・しかし2週間よりも早まるかもしれない
悩んで悩んで・・・後から知ったんですが、丁度前の日に兄と「やれるだけの事やってだったら、まだあきらめがつくよね・・・」
なんて話してたそうです。
それで、先生に10%の確立にかけたいと言って白血病の治療を選んだんですけど。
そんな話をしてる間も肺炎の進行がやたら早く今度の日曜日9日が山かもしれない・・・と話が急展開。
先生が9日の日曜日は家族できて、なるべく長く楽しく一緒に過ごしてくださいと言われ、丁度4日が父の誕生日だったので、遅い誕生日会って事で兄も仕事を休んでみんなで過ごしました。
その日は「ありがとう、楽しかった~」と言ってくれたのを思い出します。
それから4日間、もの凄くがんばりました・・・

こんなに強い人だったとは思いませんでした。
人間の生命力ってこんなに凄いんだと・・・
死んでしまうと儚いかもしれないけど、生きようという力はものすごいパワーだと。

12日までは苦しそうでも話せました
「もうだめかね」なんて言う父に、母が「そんなことないよ!大丈夫!最低でも3ヶ月は戦わないと家に帰れないんだから、こんなんで負けちゃだめ」それを聞いた父が「え~」(そんなにかよ~)って笑ってました。
何度も、もういいよがんばらないで。と言えたらどんなにみんな楽だっただろうか・・・
だって十分頑張ってるもん
頑張りすぎだよお父さんって・・・

寝るのが怖いって言うので、そばにいるから安心して寝てねってずっと手を握ってました。
もうステロイドも効かなくなってしまってたので
最後は先生が寝させてあげましょうというのでモルヒネを使いました。
投与する時は病室の端の見えないところで泣いてると、看護婦さんが背中をさすってくれて「沢山沢山手を握っててあげてね」と言われました。
ホント優しい先生と看護婦さん達ばかりだったんです。
とにかく痛いのと苦しいのだけは取ってあげたかった・・・
ただ、注射器に3センチぐらいの量を40時間以上かけて投与・・・
心臓が強いらしく、全く変化がなし
苦しそうに呼吸をしているだけ・・・
呼吸の音が「苦しい苦しい・・・」って聞こえてくるようでたまらなかった・・・
先生に泣きながら「何が正しいのかよくわからないけど、苦しいのだけはとってください」と言って1,5倍にしたり2倍にしたり・・・

酸素の取り入れが普通の人で95%ぐらいとして
見た目が苦しそうでも75%をきると、意識が朦朧として本人は痛さや苦しさがなくなるらしいです。
それでも父は戦ってて、89%と90%・・・80に下がったと思ったら持ち直したり
もちろん酸素マスクの酸素量は目一杯での状態なんだけど。(これ以上は酸素量をあげられない)
まだまだ長くなるかもしれないと、リュウとバンのお散歩をしに帰ってしばらくして、母から電話・・・
急に落ちたらしく、落ちだしたら早かったそうです

13日の午後5時56分長くて短い戦いが終わりました。

この記事へのコメント
45. ゆき   URL  2007/09/18 21:51 [ 編集 ]
お疲れ様でした。
おとうさんも、みぽさんも、家族みんなでがんばりましたね。
ゆっくり休んでくださいね。
46. ミホ   URL  2007/09/21 00:10 [ 編集 ]
ゆきさんありがとうー!
心の準備が多少でもあったから、できるだけの事はできたと、納得するようにしてます。
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